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【日記 2023 12/02】けもケット参戦/『アリスとテレスのまぼろし工場』/「先週のジャンプ」問題

ニュースの見出しで「駆除のクマは牛襲うOSO18」というのを見て,「なんかこういう俳句あるよな」と思った(「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」(金子兜太)だった).いかがお過ごしだろうか.

日記と題したものの,下書きを放置していたので最近のできごとは全然入っていない.最近の懸案事項は12/24のM-1グランプリだ.映画の感想部分に関してはネタバレ注意です.

けもケット参戦!

2023年9月17日,東京流通センターで開催.流通センターは都心の海辺にある建造物で,浜松町駅というところで山手線からモノレールに乗り換えて向かった.海と道路が交互に現れる景色を眺めながらの移動はけっこう楽しかった.会場到着は待機列形成開始から1時間後ほどで,すでに長い列ができていた.開場までは1時間というところ.入口で買ったカタログ(入場券を兼ねている)で参加サークルのサークルカット一覧を眺めて時間をつぶした.
列が動き出し,ぬるっとスタート.「開場前に列に並んだし,目当てのサークルを回っていけばひととおり買えるだろ」と思っていたが,始まってみると会場内は人でごった返しており,非常にジリジリとしか進めない.私の目当てのサークルは入場口から対角の位置に固まっていたので到着に時間を要し,欲しかった本は9割がた手に入ったが残りの1割は売り切れていたという感じだった.時間感覚に関する甘えが露呈した形になる.
同人イベントで楽しみなのは,知らなかったサークルとの思わぬ出会いだ.目当てのサークルを回ったあとでぶらぶらしていたら,「これは・・・!」と息を飲むような好みドンピシャの本を一冊買うことができた.(前に並んだ人がサークル主の友人だったらしく,軽口を言い合うタイプの仲の良さで,少しだけ疎外感があった.)
その後,着ぐるみエリアを少し見たりして,14時くらいに会場を出た.そばチェーンの「ゆで太郎」が駅前にあったのでもりそばを食べた.そば湯が好きなので,店内にそば湯のポットが用意してあるのはありがたいと思った.

楽しかった.ブログに日記を書くのだから一枚くらい写真を撮ればよかった.写真を撮る習慣がないとイベントごとを思い出すフックが少なくて困る.ブログドリブンな撮影習慣というのもありうるのではないか.(ブログドリブンへの既視感:ノヴゴロド

アリスとテレスのまぼろし工場

菊入正宗14歳。彼は仲間達と、その日もいつものように過ごしていた。すると窓から見える製鉄所が突然爆発し、空にひび割れができ、しばらくすると何事もなかったように元に戻った。しかし、元通りではなかった。この町から外に出る道は全て塞がれ、さらに時までも止まり、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだった。

変化のない冬を繰り返し生きていくことは観客目線ではめちゃくちゃ辛いことのように思うけれど,住人たちの姿勢はいまいちぼんやりしていて,異常事態に対する意見自体があんまりないみたいだった.結果として,ことの重さが住人たちにとってどの程度のものなのか見ていてずっと測りかねていたけれど,裏を返せばそこに意見を持てなくなるくらいすり減っているということでもあり,その空虚さがなにより恐ろしいということなんだろう.(というかまあ,時間の流れを意識して希望や絶望を抱いた人はみんなまぼろし世界から消えちゃったということでもある)

時間がおかしくなるモノの物語としては「正常な時の流れからの弾き出され方」が独特で,なにごともなかった現実というのが別に存在したうえで自分たちは変化を禁じられるというシチュエーションには独特の絶望がある.言い尽くされているかもしれないけれど,この設定は比喩としてはコロナ禍で「あったはずの現実」から弾き出された時期の人々(とくに子供たち)に捧げられたものなのだろうと思う.

これもおそらくは見た全員が思ったことだろうけど,キスシーンが長かった.あの世界で想いあうというのは相当な覚悟が必要で,絶対に軽くあってはいけない部分なので,それがこの上なく表現されていたシーンだった.

ラストシーンについては,帰ったところでできることなんてないんじゃないかしら,何が起きて終わるんだろう,と思っていた.なので,イツミの「ここで生まれた,私の初めての失恋」で締め,というのはすごく意外だった.時間が止まった世界にいる中学生時代の父親への恋が母親によってくじかれる,というかなり込み入った構造がここにきて強調されるのはすごかったけれど,それがどういった問題意識と接続するのかは読み取りきれていないところがある.

 

ていうか,いや,なんだかんだいっても、けっきょく園部さんだよな~.映画館を出てからもずっと園部さんのことを考えていた.見ている間も正直ずっと園部さんのことが頭にあって,本筋があんまり入ってこなかった.正宗から園部さんへの対応は一貫してかなりひどく,相合傘のシーンでは下の名前を知らない,後半に言い放った「真剣な告白を初めて見た」という旨のセリフ,等を見るに正宗にとって園部さんがかなりどうでもいい存在だったことは明白だ.ここは見ていていちいちキツかった(園部さんが消えた後に正宗が中途半端に反省苛立ちをしていたのもうざかった).

園部さんの冷遇っぷりは徹底されていて,これは睦美との対比になっているんだろうけど,そう思うと園部さんと睦美の関係性は結構特殊な感じがした(互いを恋敵としてふんわり意識し,いじめあっているが,ふいに普通の会話も成り立つ,という温度はよくあるものなんだろうか?).ここの不思議さが際立つのは園部さんが煙に食われて消えるシーンで,一同が呆然としているところに睦美だけが園部さんに駆け寄っていた.上履きを隠しあうという関係から根本的な険悪さを読み取るのは間違いで,ピンチのときに現れるたぐいの信頼関係が根底にあったとみるのが妥当かもしれない(この部分については,痛みが希薄になるまぼろし世界で男子が体の痛みを求める遊びをするのに対して女子は心の痛みを求める遊びをしていたのだという旨の読みをネットで見かけて,たしかにそうかもと思った).

生き残り組が掘り下げを受ける一方で,園部と仙波に関しては「心がこういうことになると消えちゃう2例」という形でまぼろし世界のルール説明のために消費された感じが強く,非常に寂しかった.そうなると俄然気になるのが現実世界の園部さんのことだ.園部さんのことが大好きな俺は,せめて現実世界で(「せめて現実世界で」というフレーズは奇妙だ)彼女がハッピーであることを願わずにはいられない.ここに思いを馳せるにあたりひとつポイントになるのは,そもそも現実世界の園部さんは正宗を好きになるのか? というところだ.

まぼろし世界において園部さんが正宗に好意を抱いたきっかけは,本人の口から「助手席に乗せてくれたとき」と明言されている.とはいえゼロの状態から助手席だけで好きになるというのは想像しづらいので,ある程度の積み重ねがあった上での契機だったのだろうと推測ができる.ところがこの「助手席イベント」には,まぼろし世界だからこそ起こったことである,という大きな特殊性がある(まぼろし世界では年齢が進んでいかないので,子供には特例的に成人の権利が一部付与されるという描写がたしかあった.正宗はこのシステムを使って14歳ながら運転免許を所有している).現実世界で通常の運転免許を持ってから助手席に乗せるということもありえなくはないが,ここでは園部さんの恋のきっかけは,「まぼろし世界の中だからそれが起きた」という特殊性を強調するために選ばれたという解釈を採りたいと思う.(現実でも正宗に袖にされている園部さんを想像するのがつらくてしょうがないからだ.)そういうわけで現実の園部さんには,正宗を明確に好きになるきっかけが訪れず,大人になって振り返ってみればあれは恋だったかもしれない,程度の淡い感情で済むような筋書きを辿ってほしい.

と,書いて気がついたけれど,「あいつはどうせ振り向いてくれないから好きになるのはやめなさい」という態度はおそろしいまでにグロテスクだ.気づかないうちにとても悪いことを言っていた.すごく元気がなくなってしまったのでここまでにしたいと思う.園部さん......

ジャンプ本誌を買う

小学生のころに「戯言シリーズ」を読んでから西尾維新が好きで,中学生になってからは「物語シリーズ」や「めだかボックス」をはじめとした西尾維新作品を読みあさっていた.家庭科の時間で作った布のブックカバーに,戯言シリーズの登場人物たちを象徴するマークを刺繍したことがあった.物語シリーズのアニメで第何話の副音声が誰×誰担当だったか,という情報をすべて記憶している時期もあった.最近出している小説はしょうじきあまり好みではなく,「デリバリールーム」や「キドナプキディング」は拍子抜けするところもあったけれど,去年ジャンプで連載開始した「暗号学園のいろは」は単行本を買って読んだところとても面白かった.西尾維新が得意とする言葉の小ネタが,つねに振り落とされるぎりぎりの強度でびっしり敷き詰められており,ほかの漫画では得られない読み味と快感がある.作画担当の岩崎優次の絵もめちゃくちゃ綺麗.

ところが「暗号学園のいろは」は掲載順があんまり振るわないらしい.掲載順とはジャンプ本誌でその漫画が先頭から何番目に掲載されているかということで,読者人気などを反映して決定される(とされている)ため連載の安泰さを示すバロメータとなっているのだ.好みが強烈に分かれる漫画だとは思うので,ある意味では当然なのかもしれないけど,そんな漫画がジャンプに乗っているというのはステキなことだ.本当に「暗号学園のいろは」が続いてほしいので,単行本を買うのみならず,ジャンプ本誌を買ってアンケートを送ることにした.

編集部が連載継続を判断するにあたって重要とされているのがこの読者アンケートなのだ.ジャンプ本誌に綴じこまれているハガキを使って送るので,アンケートを出すためには本誌を買う必要がある.とはいえ俺が送った一票がまさに掲載順や連載継続を左右する,という事態は実際ありえないので,これはまあ,そういうレジャー,ということになる.電子書籍版でもアンケートは回答できるようなのだけれど,紙の本を所有したいタイプなので本屋さんに行ってジャンプを買った.「魔々勇々」の初回が載った号だ.

というわけで以下,本誌を買い始めてから得た知見をつらつらと並べていくことにする.

 

紙のジャンプを買ってみるといろいろ学びがある.まず,手に取ってぱらぱらとめくると,つるつるのカラーページ以外に使われているざらざらの再生紙が「絵柄を潰さずに漫画を印刷できる本当にぎりぎりの紙質」であることがわかる.また,本誌と単行本を連続して読むと,単行本の印刷が非常に鮮やかで明瞭であることに気づく.印刷の見た目のほかにも,1ミリに満たないゴム片のような不純物が紙に埋まっていたり,漫画の黒ベタの部分にインク溜まりのようなものができていることもある.小さいころ月刊コロコロコミックを買っていたことがあるけれど,もう少し質のよい紙が使われていた気がする.週刊かつ部数の多いジャンプという雑誌だからこそ,このような紙を使う必要があるのだろうし,紙資源に出したジャンプが再生紙になって次のジャンプに使われるといった妄想も浮かぶ.そうした巨大なサイクルの現れとしてみると,手元にあるこの雑誌がいっそうステキなものに感じる.

毎週買うことによって気がつくこともある.まず何よりも,「1週間に1話描いているのだ」ということは知識としては当然知っていたことではあるのだけれど,週刊で買うことによって,その「1週間」というスケールが自分が次の号まで実際に待った1週間と正確に対応する.漫画家がこの短い時間でしていることは,何ページにものぼる量の絵を仕上げるということだけではなく,その1話を面白い話として0から考えることも必要,なだけでもなく,連載を通してつねに読者の興味を引き続ける一貫性のある筋書きを考えるということもしなければならない.と考えるにつけ,連載というのはとんでもない営みだと感じるのだ.

また,毎週買うことによってはじめて知ったのは「先週のジャンプ問題」だ.ある週,うっかりジャンプを買いそこねるということがあったのだが,その次の月曜日に次号が発売して以降,買わなかった号が本屋さんからなくなってしまった.いろいろな本屋さんを巡ったけれど,結局本当に1冊も見つけることができなかった.雑誌を買う習慣がなかったから知らなかっただけで,たぶんジャンプに限らず週刊雑誌というのは基本的にそういうシステムなんだろうと思う(連載を追っているのに1週間のうちに買い忘れる,ということは基本的に想定されていない).

ついでに言えば,週刊で買い続けるという決断がけっこう重いというところも知らなかった.考えてみればわかることだけれど,本誌掲載から単行本化まではけっこう時間があくので,買うのをやめると長いあいだストーリーの続きをおあずけされることになる.単行本派からすると,本誌はひとたび手に取ったら離れることのできない「魔の契約」だった.楽しいからいいけど.

 

書いていて思い出したけれど,紙のジャンプを所有したいという欲望は,元をたどれば8月に買った書籍「奇奇怪怪」の影響だ.あの奇妙な青い本の,「週刊の四角い雑誌,なる本のあり方の魅力をえぐりだす」というコンセプトに見事に魅了されたということになる.こういうことにはあとから気がつくのが一番面白いなと思った.

 

本はなるべく物理的に所有したいという気持ちがあり,電子書籍のプラットフォームが整備されていけばいくほど不合理になっていくのが難しいところだ.ジャンプが十数冊ほどたまってきて,順当に部屋を圧迫してきたので,年末年始には「週刊少年ジャンプの圧縮」を試みるつもりだ.雑誌に対する「圧縮」とはアイロンで糊を柔らかくして雑誌の綴じを分解する営みで,残したい部分だけを再構成することで収納スペースの節約ができる.次回は圧縮してみたの記事でお会いしましょう.読んでくれてありがとうございました.