マグマ

よんでくれてありがとう

【日記・3月13日】GOODS

GOODS

最近よかったものを羅列する。

耐水メモ

お風呂でメモを取りたかったので百均で購入。鉛筆で書き込む。
湯船に浸けるわけではないものの、お風呂上がりにはメモ全体が湿り、重ねられたメモのすべての隙間に水が染み込む。カビるのが怖いので拭いていたが、さすがにやっていられないので、全ページをリングから切り取ってばらばらにして必要な枚数だけ持ち込んで使っている。

体感的には2枚以上持ち込むと長風呂になってしまうことが多いので、1枚くらいがちょうどいい。

水に濡れたものに鉛筆で字を書く(ちゃんと書ける)という体験がまずおもしろい。耐水紙(紙ではないらしい?)は表面に特有のざらざら感があるため、鉛筆で書くときにけっこういい手触りがある。お風呂の中でメモを取れるように、という目的で買ったものだけど、こういう副次的な楽しさもけっこう大きい。

ルビサファのサントラ

1月末ごろまで、まとまった長さの文章を書くタスクに追われていた。作業中に音楽を聴く習慣があるが、こと文章を書く作業においては歌詞のある音楽が邪魔になってしまうので歌詞のない音楽を求めていた。なじみのある音楽で、愉快で、それなりに落ち着いているものを探したところ、ルビサファのサントラにたどりついた。

上のきょうだいがルビーをプレイしていて、自分はおそらく横で見ていた。そうした間接的なノスタルジーのはずなのに、懐かしさを強く感じる。トランペットの音の感じがとてもよい。サウンドがきちんと暑くて良い。
・歌詞がなくて・音が懐かしくて柔らかく・曲が短くころころと変わっていくので作業に向いている。
好きな曲は『戦闘!ハルカ』『ルネシティ』など。
ポケモンサウンドライブラリというサイトで聞くことができる。→https://soundlibrary.pokemon.co.jp/musicbox?version=rs

魔女の宅急便のサントラ

こちらも良い。おだやかで聞きやすい。けっこうしょんぼりするストーリーの映画ではあると思うんだけど、曲はおだやかで柔らかい。回復効果がある。作業に向いている。
図書館でCDを借りてきてスマホに入れた。収録順に不満がある。「ルージュの伝言」は最後から2曲目となっているが、これはやっぱりおかしく、「旅立ち」と「海の見える街」のあいだだと思う。

うろおぼえサマーウォーズ

こういうアカウントがある。
インターネットのある場所でただただこれがなされているという、それだけのことが、どうしてこんなに嬉しいんだろう。脳がスッと気持ちよくなる感覚がある。

アンパンマンが生まれた日

なんか泣いてしまった。

1.2億回再生されている。

銀シャリ『ピラフ』

会話の中でなんらかの異常性やズレを発生させて、そこへ注意を向ける、というのが漫才の抽象的な構造だと思うのだけれど、『ピラフ』ではそのズレ方そのものが漫才を通じてズレていくのが気持ちいい。
人が「止まらなくなっちゃう瞬間」が自分は好きなんだと気づかされる。

『無尽蔵のエンドコンテンツ』ep.33.75の「淫夢はAVやから見ない」という旨のくだり

18:35~あたり。見出しのとおりなんだけどすごく笑った。

もういっぽん! のオープニング

冒頭の転ぶカットがすごく気持ちいい。

歌もいい。不思議な寂しさがある。

バカテスのオープニング

なにを言ってるのか全然わからないのに、なんか良い。

パーフェクトエリアコンプリートってなに?

【日記】最近見たもの/短歌について

近況を書く。前回の更新から10か月とかあいてるようだ。リーダビリティがますます落ちていると思う。

備忘録的な運用という当初の方針に則り、クオリティをすこし犠牲にして書くハードルを下げ、更新頻度を上げるということをやっていく。

最近見たもの

映画 ロボット・ドリームズ

アニメーションが気持ちよかった。セプテンバーは名曲。

映画 ガンダムGQuuuuuuX beggining

ガンダムは完全初見なのでさすがに「知識があれば…………」という箇所も多かったが、ガンダムはかっこよく、竹キャラはかわいく、米津玄師の歌は良く、満足だった。

漫画・アニメ メダリスト

途中。4巻まで読んだ。

かわいい。人より遅く始めるという境遇を努力と信念で跳ね返す主人公の姿はまぶしい。また、選手たちに思いを託す側の人間であるところのコーチたちの人間模様が描かれているのが面白い。

絵がめっちゃうまい。ざくざくした筆跡がかっこいい。たびたび用いられるデフォルメ表現がすばらしくかわいい。重心とか加速とかの描写がすごく、スケートをする体の動きがすいすい頭に入ってくる。

漫画 ブルーピリオド

途中。7巻まで読んだ。

献血ルームに置いてあったので読んだ。置いてあるぶんは何回か献血に通って読み切った。

美大受験をスポ根漫画として描いているのが面白い。(「こいつ、あの量の課題を終わらせたのか…………!」「根性あるわね♡」みたいな)

三木きねみというキャラクターに心をうばわれている。ありがとうブルーピリオド。三木さんの一挙手一投足、太陽のような言動、これらを見るときに生じる感覚は、消えてしまいたい、という気持ちととても近い。

総合的な気持ち

人生賭けて全力で頑張る人たちばかりが出てくる漫画を読んでいると、いい意味でも悪い意味でも気がおかしくなりそうになる。

いい意味→ブルーピリオドを読んだ帰りに世界堂に寄ってスケッチブックを買った

悪い意味→両作ともめっちゃ面白いのに、消耗が激しく、連続で読めない

最後まで読むだろうと思う。

短歌

YouTuberのベテランちがいつかの動画で、気になっている趣味はザコくてもいいからやってみると発見がある、という旨のことを言っていて、本当にそうだなと思う。

なにごとも取り組んでみての感想ってそうな気もするけど、短歌はめっちゃむずかしい。妥協しないで言葉と向き合い続けるという部分がつらく、作るたびにこれくらいでいいかなと妥協して考えるのをやめている。ここをこだわって推敲を重ねることがクオリティにつながっていくのだと思う。

自分にとって何がいい短歌なのか、という指針を持つこと、自分のツボや好みを把握することも重要だと思う。そのためには、自分に対して分析的な目を向け続ける必要があって、それが難しい。

読む人は書き手の頭の中は覗けず、短歌としてそこに書いてあるだけの情報しか得られない、という部分も難しい。もはや短歌に特有の難しさではないけれど、定型があって盛り込める情報量が限られているという性質によって特に際立っていると思う。

持ってる歌集

笹井宏之『えーえんとくちから』(文庫版)

木下龍也『オールアラウンドユー』

伊舎堂仁『感電しかけた話』

佐クマサトシ『標準時』

雪舟えま『たんぽるぽる』

谷川由里子『SOUR MASH』

買った順に書いている。歌集の感想って書こうとすると気に入った歌の羅列になってしまいそうで難しい。でもいつかそうでなく総合的なイメージみたいなものを構造立てて文章にできたら記事にするかもしれない。たとえば『標準時』は硬くてすずしい感じ、清潔でシンプルで手が届かない感じがかっこよかった。最近の購入傾向をみるに、今は圧倒的なポエジーにやられたいという気持ちになっているのだと思う。

持ってないけど図書館で借りて読んだものでは郡司和斗『遠い感』がよかった。ポケモンとかそういう言葉が登場して楽しい。それによって心惹かれる、という自分の挙動は少し情けなく感じる。青松輝『4』もいつか買いたい。

最近作ったもの

羅列をする。羅列のあとには日記にはもうなにもないです。

短歌はZINEに載せてもらったり、discordのスレッドで投稿したりしている。だいたい上から下に作った順になっている。

~~~

デイドリーム、光のなかを滑空し、シュークリーム、人生は一度きり

人類が初めて行った寝落ち通話/エリートトレーナーってなんなんだろう

敬虔な僕らの肌はすべすべで火はつかなそう ウルトラマリン

Steamの「可能な限り速やかに何もわからなくなりたい」のタグ

記念日を大事に祝う俺たちの雷撃の無敵のクリアパーツ

東京のきみはメトロへ RedditRei Ayanamiはheat hazeへ

直線 星の直線 思春期を過ごした街ですることがない

雷門の勝利によって雷門の練習法が肯定される

地球まで8分20秒かかる ひげを剃るたび集中をする

生まれてから夏までの眩しいカーブ どこかには行こうよねわたしたち!

神様が枝を揺らして朝焼けの落葉樹林 プッチンプリン

生まれてきていろいろな人を嫌う お湯で濡らしたそでが冷たい

のぞむなら、光より速く光よりつまらなくなってもよい。 ショトカ

経緯があって凶器に牛乳は付着して、あるだけの経緯

空に複数の電力 ビタミンというだけでよいイメージを持つ

割れるほどクリアーな春風の日へ君という一度きりの落下

死をジャムのようにしまって僕たちのすごく洗練されたセルフィー

ビビッドなアイスのほうがすぐ溶ける気がする 塾の中で付き合う

ずっと見てられる ペロペロキャンディーは窒息の危険性が低い

忘れたら死んでしまうような記憶を忘れても生きていける はがね

これまで以上に雷のような桜を心がけてまいります。

【日記2024 3/23】原稿執筆カフェに行った

近況

人生で初めて『魔女の宅急便』を初めて観た。すごくよかった。特にジジの声や動きが激萌えだった。小屋で眠るときにキキがリボンをつけっぱなしで、これも(「服は紺」と同様に)魔女の服装規定なんだろうか、だとしたら厳しいな、みたいな、思う意味のないことを思ったりした。グッと来たのは、ニシンのパイのおばあさん宅で働く家政婦が冒険好きという設定で、キキのほうきにこっそり跨ってみたり、飛行船の(事故の)ニュースを目を輝かせて見ていたりするのがよかった。雨の中をトンボが(普段のラフな服装に反して)かなり良さそうなスーツで来るのもよかった。あとやっぱりジジが激萌えだった。

昨年7月の記事を最後に更新が途絶えていたブログ『みそは入ってませんけど。』が再び動き出していた。相変わらず難しいけど、わからないまま引き込まれる真の魅力と迫力がある。←「登場させた意図がわからないモチーフが存在する」くらいのことを「難しい」と表現するのをやめていきたい。

原稿執筆カフェに行った記録

原稿執筆カフェという場所がある。原稿を進めたい人のためのカフェで、入店時に設定した目標どおりの進捗を生むまで退店できない。そこに行ってきた。

入店すると、当然ながら店内は全員作業中で、シャンとした雰囲気がある。着席するとスマホくらいの大きさの紙を渡されるので、そこに目標を書き込んで作業スタート。仕事で提出する文章があったから、それを○○字進めるみたいな感じで設定した。作業の様子については、作業と並行してメモしたものが以下のような感じ。ちなみに飲み物はティーバッグのお茶・紅茶やドリップコーヒーが飲み放題。

 

(作業開始)ほうじ茶を持ってきてPCをひらく Wi-Fiがあるので使う
(20分後)とりあえず参考資料を開く マジで作業やりたくない! でも執筆カフェ来てさぼるのありえなくないか?
(25分後)とりあえずBGMは洞窟物語のサントラ。部活明けの中学生が窓の前を通っていく。部活を明けるな*1
(30分後)この項目やっかいなんだよな。
(40分後)店主さんの巡回。進捗どうですか?の札と、飴の差し入れ。ミルキーをいただく。濃くて固くておいしい。ひと噛みで、詰め物があれば絶対に取れてしまうであろうことがわかる。久々に食べた。
(55分後)そろそろ進捗確認の時間?*2そこまでこまめでもないか。BGMは現在「迷宮ファイト」。
(80分後)締め切り直前では絶対に行わないだろうな、という推敲をしている。逆に、これまで提出したもの、よく通ったな。ほぼ全部ぎりぎりで書いたのに。目標まであと400文字ほど。30分で終わらないだろうな~*3
(110分後)BGMは「走れ!」に変更*4。そういえば「進捗どうですか」の問いかけが札のみというのは思っていたよりずっとやさしい。欲をいえば、言葉で詰めてほしい*5
(130分後)気がついたけど、普段の作業中に出まくっている悪癖であるところの毛先いじりがほとんど出ていない。雰囲気のなせるわざなのか?
(140分後)飲み物をたくさん飲んでいる。当然、たくさんトイレに行くことにもなっていて、ハズい。
(150分後)さすがに終わらせたい!終わらす!

 

最終行の10分後あたりで進捗が目標に届いたため、店主さんに報告。料金を支払って退店した。帰り際に頑張りましたねと労いの言葉をかけてもらえたのが印象的だった。

作業は普段よりはかどった。

*1:気分がくさくさしている

*2:集中したからか、時間の感覚がよくわからなくなっている

*3:次に料金が加算される時間までに終えたいが、たぶん無理そう、という見通し

*4:ジョギングするとき用のプレイリスト。全体的にスピード感がある

*5:「進捗どうですか」の強さは入店時にマイルド・ノーマル・ハードから選べる。とりあえずノーマルを選んだけど、ハードにすればよかったかも

【日記 2023 12/02】けもケット参戦/『アリスとテレスのまぼろし工場』/「先週のジャンプ」問題

ニュースの見出しで「駆除のクマは牛襲うOSO18」というのを見て,「なんかこういう俳句あるよな」と思った(「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」(金子兜太)だった).いかがお過ごしだろうか.

日記と題したものの,下書きを放置していたので最近のできごとは全然入っていない.最近の懸案事項は12/24のM-1グランプリだ.映画の感想部分に関してはネタバレ注意です.

けもケット参戦!

2023年9月17日,東京流通センターで開催.流通センターは都心の海辺にある建造物で,浜松町駅というところで山手線からモノレールに乗り換えて向かった.海と道路が交互に現れる景色を眺めながらの移動はけっこう楽しかった.会場到着は待機列形成開始から1時間後ほどで,すでに長い列ができていた.開場までは1時間というところ.入口で買ったカタログ(入場券を兼ねている)で参加サークルのサークルカット一覧を眺めて時間をつぶした.
列が動き出し,ぬるっとスタート.「開場前に列に並んだし,目当てのサークルを回っていけばひととおり買えるだろ」と思っていたが,始まってみると会場内は人でごった返しており,非常にジリジリとしか進めない.私の目当てのサークルは入場口から対角の位置に固まっていたので到着に時間を要し,欲しかった本は9割がた手に入ったが残りの1割は売り切れていたという感じだった.時間感覚に関する甘えが露呈した形になる.
同人イベントで楽しみなのは,知らなかったサークルとの思わぬ出会いだ.目当てのサークルを回ったあとでぶらぶらしていたら,「これは・・・!」と息を飲むような好みドンピシャの本を一冊買うことができた.(前に並んだ人がサークル主の友人だったらしく,軽口を言い合うタイプの仲の良さで,少しだけ疎外感があった.)
その後,着ぐるみエリアを少し見たりして,14時くらいに会場を出た.そばチェーンの「ゆで太郎」が駅前にあったのでもりそばを食べた.そば湯が好きなので,店内にそば湯のポットが用意してあるのはありがたいと思った.

楽しかった.ブログに日記を書くのだから一枚くらい写真を撮ればよかった.写真を撮る習慣がないとイベントごとを思い出すフックが少なくて困る.ブログドリブンな撮影習慣というのもありうるのではないか.(ブログドリブンへの既視感:ノヴゴロド

アリスとテレスのまぼろし工場

菊入正宗14歳。彼は仲間達と、その日もいつものように過ごしていた。すると窓から見える製鉄所が突然爆発し、空にひび割れができ、しばらくすると何事もなかったように元に戻った。しかし、元通りではなかった。この町から外に出る道は全て塞がれ、さらに時までも止まり、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだった。

変化のない冬を繰り返し生きていくことは観客目線ではめちゃくちゃ辛いことのように思うけれど,住人たちの姿勢はいまいちぼんやりしていて,異常事態に対する意見自体があんまりないみたいだった.結果として,ことの重さが住人たちにとってどの程度のものなのか見ていてずっと測りかねていたけれど,裏を返せばそこに意見を持てなくなるくらいすり減っているということでもあり,その空虚さがなにより恐ろしいということなんだろう.(というかまあ,時間の流れを意識して希望や絶望を抱いた人はみんなまぼろし世界から消えちゃったということでもある)

時間がおかしくなるモノの物語としては「正常な時の流れからの弾き出され方」が独特で,なにごともなかった現実というのが別に存在したうえで自分たちは変化を禁じられるというシチュエーションには独特の絶望がある.言い尽くされているかもしれないけれど,この設定は比喩としてはコロナ禍で「あったはずの現実」から弾き出された時期の人々(とくに子供たち)に捧げられたものなのだろうと思う.

これもおそらくは見た全員が思ったことだろうけど,キスシーンが長かった.あの世界で想いあうというのは相当な覚悟が必要で,絶対に軽くあってはいけない部分なので,それがこの上なく表現されていたシーンだった.

ラストシーンについては,帰ったところでできることなんてないんじゃないかしら,何が起きて終わるんだろう,と思っていた.なので,イツミの「ここで生まれた,私の初めての失恋」で締め,というのはすごく意外だった.時間が止まった世界にいる中学生時代の父親への恋が母親によってくじかれる,というかなり込み入った構造がここにきて強調されるのはすごかったけれど,それがどういった問題意識と接続するのかは読み取りきれていないところがある.

 

ていうか,いや,なんだかんだいっても、けっきょく園部さんだよな~.映画館を出てからもずっと園部さんのことを考えていた.見ている間も正直ずっと園部さんのことが頭にあって,本筋があんまり入ってこなかった.正宗から園部さんへの対応は一貫してかなりひどく,相合傘のシーンでは下の名前を知らない,後半に言い放った「真剣な告白を初めて見た」という旨のセリフ,等を見るに正宗にとって園部さんがかなりどうでもいい存在だったことは明白だ.ここは見ていていちいちキツかった(園部さんが消えた後に正宗が中途半端に反省苛立ちをしていたのもうざかった).

園部さんの冷遇っぷりは徹底されていて,これは睦美との対比になっているんだろうけど,そう思うと園部さんと睦美の関係性は結構特殊な感じがした(互いを恋敵としてふんわり意識し,いじめあっているが,ふいに普通の会話も成り立つ,という温度はよくあるものなんだろうか?).ここの不思議さが際立つのは園部さんが煙に食われて消えるシーンで,一同が呆然としているところに睦美だけが園部さんに駆け寄っていた.上履きを隠しあうという関係から根本的な険悪さを読み取るのは間違いで,ピンチのときに現れるたぐいの信頼関係が根底にあったとみるのが妥当かもしれない(この部分については,痛みが希薄になるまぼろし世界で男子が体の痛みを求める遊びをするのに対して女子は心の痛みを求める遊びをしていたのだという旨の読みをネットで見かけて,たしかにそうかもと思った).

生き残り組が掘り下げを受ける一方で,園部と仙波に関しては「心がこういうことになると消えちゃう2例」という形でまぼろし世界のルール説明のために消費された感じが強く,非常に寂しかった.そうなると俄然気になるのが現実世界の園部さんのことだ.園部さんのことが大好きな俺は,せめて現実世界で(「せめて現実世界で」というフレーズは奇妙だ)彼女がハッピーであることを願わずにはいられない.ここに思いを馳せるにあたりひとつポイントになるのは,そもそも現実世界の園部さんは正宗を好きになるのか? というところだ.

まぼろし世界において園部さんが正宗に好意を抱いたきっかけは,本人の口から「助手席に乗せてくれたとき」と明言されている.とはいえゼロの状態から助手席だけで好きになるというのは想像しづらいので,ある程度の積み重ねがあった上での契機だったのだろうと推測ができる.ところがこの「助手席イベント」には,まぼろし世界だからこそ起こったことである,という大きな特殊性がある(まぼろし世界では年齢が進んでいかないので,子供には特例的に成人の権利が一部付与されるという描写がたしかあった.正宗はこのシステムを使って14歳ながら運転免許を所有している).現実世界で通常の運転免許を持ってから助手席に乗せるということもありえなくはないが,ここでは園部さんの恋のきっかけは,「まぼろし世界の中だからそれが起きた」という特殊性を強調するために選ばれたという解釈を採りたいと思う.(現実でも正宗に袖にされている園部さんを想像するのがつらくてしょうがないからだ.)そういうわけで現実の園部さんには,正宗を明確に好きになるきっかけが訪れず,大人になって振り返ってみればあれは恋だったかもしれない,程度の淡い感情で済むような筋書きを辿ってほしい.

と,書いて気がついたけれど,「あいつはどうせ振り向いてくれないから好きになるのはやめなさい」という態度はおそろしいまでにグロテスクだ.気づかないうちにとても悪いことを言っていた.すごく元気がなくなってしまったのでここまでにしたいと思う.園部さん......

ジャンプ本誌を買う

小学生のころに「戯言シリーズ」を読んでから西尾維新が好きで,中学生になってからは「物語シリーズ」や「めだかボックス」をはじめとした西尾維新作品を読みあさっていた.家庭科の時間で作った布のブックカバーに,戯言シリーズの登場人物たちを象徴するマークを刺繍したことがあった.物語シリーズのアニメで第何話の副音声が誰×誰担当だったか,という情報をすべて記憶している時期もあった.最近出している小説はしょうじきあまり好みではなく,「デリバリールーム」や「キドナプキディング」は拍子抜けするところもあったけれど,去年ジャンプで連載開始した「暗号学園のいろは」は単行本を買って読んだところとても面白かった.西尾維新が得意とする言葉の小ネタが,つねに振り落とされるぎりぎりの強度でびっしり敷き詰められており,ほかの漫画では得られない読み味と快感がある.作画担当の岩崎優次の絵もめちゃくちゃ綺麗.

ところが「暗号学園のいろは」は掲載順があんまり振るわないらしい.掲載順とはジャンプ本誌でその漫画が先頭から何番目に掲載されているかということで,読者人気などを反映して決定される(とされている)ため連載の安泰さを示すバロメータとなっているのだ.好みが強烈に分かれる漫画だとは思うので,ある意味では当然なのかもしれないけど,そんな漫画がジャンプに乗っているというのはステキなことだ.本当に「暗号学園のいろは」が続いてほしいので,単行本を買うのみならず,ジャンプ本誌を買ってアンケートを送ることにした.

編集部が連載継続を判断するにあたって重要とされているのがこの読者アンケートなのだ.ジャンプ本誌に綴じこまれているハガキを使って送るので,アンケートを出すためには本誌を買う必要がある.とはいえ俺が送った一票がまさに掲載順や連載継続を左右する,という事態は実際ありえないので,これはまあ,そういうレジャー,ということになる.電子書籍版でもアンケートは回答できるようなのだけれど,紙の本を所有したいタイプなので本屋さんに行ってジャンプを買った.「魔々勇々」の初回が載った号だ.

というわけで以下,本誌を買い始めてから得た知見をつらつらと並べていくことにする.

 

紙のジャンプを買ってみるといろいろ学びがある.まず,手に取ってぱらぱらとめくると,つるつるのカラーページ以外に使われているざらざらの再生紙が「絵柄を潰さずに漫画を印刷できる本当にぎりぎりの紙質」であることがわかる.また,本誌と単行本を連続して読むと,単行本の印刷が非常に鮮やかで明瞭であることに気づく.印刷の見た目のほかにも,1ミリに満たないゴム片のような不純物が紙に埋まっていたり,漫画の黒ベタの部分にインク溜まりのようなものができていることもある.小さいころ月刊コロコロコミックを買っていたことがあるけれど,もう少し質のよい紙が使われていた気がする.週刊かつ部数の多いジャンプという雑誌だからこそ,このような紙を使う必要があるのだろうし,紙資源に出したジャンプが再生紙になって次のジャンプに使われるといった妄想も浮かぶ.そうした巨大なサイクルの現れとしてみると,手元にあるこの雑誌がいっそうステキなものに感じる.

毎週買うことによって気がつくこともある.まず何よりも,「1週間に1話描いているのだ」ということは知識としては当然知っていたことではあるのだけれど,週刊で買うことによって,その「1週間」というスケールが自分が次の号まで実際に待った1週間と正確に対応する.漫画家がこの短い時間でしていることは,何ページにものぼる量の絵を仕上げるということだけではなく,その1話を面白い話として0から考えることも必要,なだけでもなく,連載を通してつねに読者の興味を引き続ける一貫性のある筋書きを考えるということもしなければならない.と考えるにつけ,連載というのはとんでもない営みだと感じるのだ.

また,毎週買うことによってはじめて知ったのは「先週のジャンプ問題」だ.ある週,うっかりジャンプを買いそこねるということがあったのだが,その次の月曜日に次号が発売して以降,買わなかった号が本屋さんからなくなってしまった.いろいろな本屋さんを巡ったけれど,結局本当に1冊も見つけることができなかった.雑誌を買う習慣がなかったから知らなかっただけで,たぶんジャンプに限らず週刊雑誌というのは基本的にそういうシステムなんだろうと思う(連載を追っているのに1週間のうちに買い忘れる,ということは基本的に想定されていない).

ついでに言えば,週刊で買い続けるという決断がけっこう重いというところも知らなかった.考えてみればわかることだけれど,本誌掲載から単行本化まではけっこう時間があくので,買うのをやめると長いあいだストーリーの続きをおあずけされることになる.単行本派からすると,本誌はひとたび手に取ったら離れることのできない「魔の契約」だった.楽しいからいいけど.

 

書いていて思い出したけれど,紙のジャンプを所有したいという欲望は,元をたどれば8月に買った書籍「奇奇怪怪」の影響だ.あの奇妙な青い本の,「週刊の四角い雑誌,なる本のあり方の魅力をえぐりだす」というコンセプトに見事に魅了されたということになる.こういうことにはあとから気がつくのが一番面白いなと思った.

 

本はなるべく物理的に所有したいという気持ちがあり,電子書籍のプラットフォームが整備されていけばいくほど不合理になっていくのが難しいところだ.ジャンプが十数冊ほどたまってきて,順当に部屋を圧迫してきたので,年末年始には「週刊少年ジャンプの圧縮」を試みるつもりだ.雑誌に対する「圧縮」とはアイロンで糊を柔らかくして雑誌の綴じを分解する営みで,残したい部分だけを再構成することで収納スペースの節約ができる.次回は圧縮してみたの記事でお会いしましょう.読んでくれてありがとうございました.

【日記 2023 08/14】まだ説明を受けていないもの/最近見たもの『君たちはどう生きるか』『ぼくらのウォーゲーム』

サイゼリヤのメニューから「ブロッコリーのくたくた」が消えた。これは日記に書くべきことだと思う。

以下、ネタバレを含みます。

まだ説明を受けていないもの

まだ説明を受けていないものをまとめた。

新たに見つけ次第追記します。

君たちはどう生きるか

公開初週ごろに見た。近所の映画館に見に行ったのだが、けっこうお客さんが入っていた。
ジブリの内部事情を面白がる、というのを通ってきていないので、映画に登場した要素や構造を現実と対応させて読み解く流れにはあまり乗れていない。
逆に、こういう感想(LWのサイゼリヤ)は興味深く読めた。

アニメーションの気持ちよさを存分に感じることができた。なんだかんだ一番印象的だったのは船の帆を張るシーンで、風を受けばらばらと音を立てて張り詰める帆・帆の力をギシギシと伝達する綱・綱を握って重心をぐっと後方に深く預け船の制御を試みる人間、という一連の力学がほんのわずかな時間のあいだにものすごく綺麗に描写されて、その圧倒的なリアリティ(というか納得性)に心が動かされた。あと、後半に突然出てくるインコ大王による質量を伴った力強い身のこなしがいちいちカッコよくて、そこもとてもよかった。
音もよかった。繰り返しになるが船のシーンでは音と動きが一体となっていて、それがリアリティにつながっていたと思う。あと、インコの家に入ったときのただインコたちの鼻息だけが聞こえる時間はなんとも不気味で、意外と見たことのない演出だなと思った。

デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム

20年以上前の映画。7月の1週間限定で復刻上映があることを友達が教えてくれた。その素晴らしい評判は以前から知っていたので、この機会を逃すわけにはいくまいと思って見に行った。
席につくと隣が親子連れだった。小学校低学年くらいの子供二人とそのお母さんという組み合わせで、上映前しきりに「映画始まったら喋っちゃだめだよ」「はーい」「いい?」「はーい」というやりとりをやっていて、多少の音は覚悟しなければいけないかもなと思った。
当時のフィルムを用いた上映だったので、広告が一切流れずにすぐに本編が流れ始めた。
冒頭数分間で状況説明がテンポよく進む。おそらく主人公の、アツそうな小学生の「タイチ」(私はデジモンを通ってきていない。まったくの初見だ)。コンピュータにかなり詳しく大人びた「コウシロウ」。彼らとその友人たちはかつてデジモンとともに大冒険を繰り広げたようだ。タイチは「ソラ」と喧嘩をしている。予想だけど、タイチとソラはたぶんいい感じになる。
春休みのある日、インターネット上のバグが凝集してデジモンのタマゴになる。世界の危機を感じ取ったタイチとコウシロウはタイチの家に集まる。タイチはデジモン仲間?に片っ端から電話で助けを求めるが、中学受験や海外旅行などの事情があってみんな繋がらない。大人はそもそも見向きもしない。世界中に遍在するコウシロウのネット友達(これも子供たちだ)がタマゴの分析を進める。これは子供たちの戦いなのだ。「インターネットの世界は、子供たちが〈子供扱い〉という制約に縛られずに自由に行動できるフィールドである」という視点がデジモン世界の基礎なのかもしれない。
不気味なタマゴが孵ると同時に、一番心が躍るタイミングで名曲「butterfly」がズギャーンと流れ始める。素晴らしい演出に鳥肌を立てていると、隣に座っていた親子連れのお母さんが泣き始めたので、たいそうびっくりした。考えてみれば、デジモン世代なのは間違いなくお母さんのほうなのだ。結局、お母さんは目元を抑えてずっとすすり泣いていた。子供たちは終始めちゃくちゃおりこうにしていた。

 

とても面白かった。とにかくテンポが良い映画だなと感じた。あとは、ダイヤルアップ接続や当時のWindowsのジラジラしたUIなどのディティールが全体の雰囲気をとてもよいものにしていた。たぶんもう映画館で見る機会はないけど、また映画館で見たい。

【日記 2023 03/21】最近見たものなど

主に最近見たものの感想です。ネタバレ注意。

『THE FIRST SLAM DUNK』(映画)

・めっちゃ面白かった。(原作未読)

・オープニングで湘北高校(主人公チーム)の5人が並んで歩く。この時点で既に胸の高鳴りを感じ、「この人たちのことをまだよく知らないけれど、いろいろなバックボーンを持つバラバラの5人が、勝利というひとつの方向に向かって足並みをそろえているんだな」と引き込まれていた。

・私はバスケの試合自体ほとんど見たことがないので映画を見ながらなんとなくルールを把握していった。相手からの執拗なプレスやパスカットによって攻撃が阻まれるもどかしさがまずあって、だからこそシュートが決まった瞬間の快感がひときわだった。ボールが移動するほんのわずかな瞬間の中に敵と味方の判断が凝縮されていて、ピンチとチャンスがめまぐるしく切り替わっていき、見ていてずっと激アツだった。実際に体が熱くなって汗をかいていた。

・試合の流れと呼応するようにしてメンバーの過去が挿入され、ドラマがあった。「湘北vs山王」というひとつのゲームそれ自体が、選手たちがバスケットボールに捧げてきたそれまでの人生そのものなのだということがひしひしと感じられた。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とか、ネット上で超有名だからさすがに知っていて意味もわかっているつもりだったけれど、前後の流れを含めてきちんと咀嚼すると本当に良いセリフだなと思った。

・とりあえず、原作の漫画を読んでみたくなった。

年森瑛『N/A』

松井まどか、高校2年生。
うみちゃんと付き合って3か月。
体重計の目盛りはしばらく、40を超えていない。
――「かけがえのない他人」はまだ、見つからない。

優しさと気遣いの定型句に苛立ち、
肉体から言葉を絞り出そうともがく魂を描く、圧巻のデビュー作。

・パンケーキ屋のシーンで出てきた「ぐりとぐらはこんなことはしない」という比喩の面白さで一気に引き込まれた。物語を貫くテーマである”かけがえのない他人”なる関係性が、この比喩を起点として「ぐりとぐら」や「がまくんとかえるくん」へと託されていく流れがとても綺麗だった。

・あらすじにもある「優しさと気遣いの定型句」について。マイノリティに向けられがちな「優しさから出発してはいるものの、”正解”を求めた結果硬直してしまっている言葉」に焦点を当てる鋭さが少し怖いとすら思う。その一方で、物語の中盤までは友達から向けられた定型句にイラついていた語り手が後半のシーンでは自分が定型句を使う側に回り、(属性と向き合うのではなく)その人個人としてと向き合うことのある種のめんどくささに直面するという構成のバランス感覚がとても好みだった。

・ラスト2ページのくだりは、緊張と緩和からくる笑いがこみ上げてきた。

隠れた不調のサインについて

「自覚はないけどメンタルがなんだかおかしいようだ」という状態に陥るときがある。落ち込んだり不安になったりといった自覚できるタイプの不調はなくて、意識できるレベルではいたって普通の気分で過ごしているつもりなのに、なにかがおかしいのだ。こういうのはエラーが出ないバグのようなもので、放置されるうちにシステムの正常な動作からのズレを拡大させる危険性がある。

だからこういうときは「兆候」に気づく必要があって、私の場合はたとえば

のようになることがわかってきた。そして、気づいたからといって有効な対策が打てるわけでもないこともわかってきた。

【日記 2023 02/17】朝食バイキング完全妄想チャレンジ

 会話中に相手から言葉を聞き返されてもう一回はっきり言い直すとき、ちょっとムッとした顔をする癖がある。直したい。

 ほかには、読みやすくて意味のまとまりがある文章を書けるようにもなりたい。当ブログは備忘録の目的のほかに、文章の練習としての側面を持っている。

円城塔オブ・ザ・ベースボール

 空から人が降ってくる街があり、語り手はそれをバットで打ち返すレスキューチームの一員。墜落を見かけるやいなや落下地点へ猛ダッシュしてフルスイングすることが生業である、などというナンセンスが、心のどこかでは人生の意味みたいな深い議論まで到達してるようでいて、やっぱりたちの悪い冗談でしかない気もする。語り手はいつ起こるとも知れない墜落に備えて絶えず青空を見上げていて、墜落現象がどこまでも目的や説明を欠いていることの不条理は、青空の爽やかさや恐ろしさや果ての無さと重なって見えた。

 川と街道がxy軸に見立てられたり、主人公が主人公をノートに書き付けたり主人公に書きつけられたり、ライフゲームへの言及があったりとシミュレーテッドな雰囲気もありながら、それらの道具立てによって人が降る街の不条理がことさら解き明かされるわけでもない。数理的な要素とのそのような距離感が、奇妙に感じつつも心地よかった。

朝食バイキング完全妄想チャレンジ

1.ホテルの朝食バイキングの飲料コーナーのオレンジジュースのガラスのジャーの表面のビチョビチョの水滴(から回想が始まる)。

2.オレンジジュースには氷が直に入っていて、溶け出した水の層ができている。上部がオープンなジャーなのでシャカシャカ振ることもできず、なんとなく全体をゆっくり回してたゆんたゆんさせてからオレンジジュースを注ぐ。横に並んでオレンジジュースを待っている知らない人がこれ(たゆんたゆん)を見ながら、おそらくは今日の旅程についてぼんやりと考えている。

3.コップに入れる氷をトングでガリっと掴む。氷は立方体のひとつの面だけを立方体の中心へと滑らかに凹ませた形をしている。氷は先に入れないとジュースが跳ねる。私はこのことをいつも忘れる。

4.コップの側面は円筒状にストンと落ちていて勾配がない。ストンと落とさないよう気をつけて持ちながら、席への帰りしなにバイキング全体をざっくりと見渡す。オレンジジュース、コーヒーマシン、フォークとナイフ、トレーとおしぼり、6つのスペースを持つ皿、旅の大きさのマーガリンとジャム、トーストからコーンスープを経由してベーコンエッグへ、白米から味噌汁に乗り込んで卵焼きへ、からあげと焼きそばからフライドポテトに身を投げて途方に暮れるもよし。アタマの中ではそうしたネットワークがまとまった形を持ちはじめ、視界の端の和食コーナーではユカチがわかめご飯をよそっている。

5.あらかじめ会場全体を見渡してメニューを考えてから取りに行くというのが私のバイキング・スタイルなのだが、そうした方針はユカチに言わせれば邪道なのだという。去年の旅行の朝食バイキングで熱弁するに曰く、バイキングとは食欲と迷いのはざまで絶えず揺れながら歩む一方通行の茨の道であり、その中で下した判断の成功や失敗をひとつのトレーに抱え込むことではじめて体験として完成するものなのだという。熱弁の過程で「攻略本」「プロアクションリプレイ」という言葉が出たあたりで理解を断念してしまったのだが、人間関係における相互理解の重要性それ自体を放棄したつもりはない。

6.二人がけの席に戻り、テーブルにオレンジジュースのコップを置く。ユカチが戻ってくるまで待ってから自分のトレーを取りに行ってもいいのだが、これがユカチの目には他人のメニューを判断材料とすることでますます神の視点に近付こうとする冒涜的態度に映る可能性は無視できない。というよりそもそも、お腹が空いている。立ち上がる。

7.近くのテーブルには家族連れが座っていて、子供が「ティラミスあったの」という声をあげると「手前の方にあったよ」と父親が答える。親が驚いて子供が自慢気に答えることも当然ありうる。私のバイキング・スタイルに則るかぎり、席に戻ってみんなとトレーを突き合わせる時点で初めて生じる発見や驚きというものはなく、ユカチが言いたいことはそういうことかもしれないなと少し思う。

8.トレーの塊から表面の一枚を剥がし取る。「剥がし取る」と表現するに足る粘着感を感じて妙に思うと、トレーの表面には滑り止め加工が施されている。

9.正方形を6つ組み合わせたような皿がある。ひとつひとつのセルに割り当てるメニューを考えるのはとても楽しい。この皿はバイキングにおける私達が「自分だけの方法でメニューを選び取っていること」を明確にしてくれる。それはそれでありがたいのだが、最近はむしろこいつを使わないほうがいいのではないかというのが私のバイキング・セオリーだ。というのも、よく見てみるとひとつひとつのセルは小さく浅いため、いろいろなメニューを食べたわりにはそれぞれに対する物足りなさだけが残るという経験を少なからずしているからだ。

10.浅い丸皿1枚と深さのある小皿2枚、それと箸とおしぼりをトレーに載せる。席に戻ったユカチが髪をまとめる後ろ姿が見える。バイキングが私の前に開かれている。(つづく)