マグマ

よんでくれてありがとう

【日記2024 3/23】原稿執筆カフェに行った

近況

人生で初めて『魔女の宅急便』を初めて観た。すごくよかった。特にジジの声や動きが激萌えだった。小屋で眠るときにキキがリボンをつけっぱなしで、これも(「服は紺」と同様に)魔女の服装規定なんだろうか、だとしたら厳しいな、みたいな、思う意味のないことを思ったりした。グッと来たのは、ニシンのパイのおばあさん宅で働く家政婦が冒険好きという設定で、キキのほうきにこっそり跨ってみたり、飛行船の(事故の)ニュースを目を輝かせて見ていたりするのがよかった。雨の中をトンボが(普段のラフな服装に反して)かなり良さそうなスーツで来るのもよかった。あとやっぱりジジが激萌えだった。

昨年7月の記事を最後に更新が途絶えていたブログ『みそは入ってませんけど。』が再び動き出していた。相変わらず難しいけど、わからないまま引き込まれる真の魅力と迫力がある。←「登場させた意図がわからないモチーフが存在する」くらいのことを「難しい」と表現するのをやめていきたい。

原稿執筆カフェに行った記録

原稿執筆カフェという場所がある。原稿を進めたい人のためのカフェで、入店時に設定した目標どおりの進捗を生むまで退店できない。そこに行ってきた。

入店すると、当然ながら店内は全員作業中で、シャンとした雰囲気がある。着席するとスマホくらいの大きさの紙を渡されるので、そこに目標を書き込んで作業スタート。仕事で提出する文章があったから、それを○○字進めるみたいな感じで設定した。作業の様子については、作業と並行してメモしたものが以下のような感じ。ちなみに飲み物はティーバッグのお茶・紅茶やドリップコーヒーが飲み放題。

 

(作業開始)ほうじ茶を持ってきてPCをひらく Wi-Fiがあるので使う
(20分後)とりあえず参考資料を開く マジで作業やりたくない! でも執筆カフェ来てさぼるのありえなくないか?
(25分後)とりあえずBGMは洞窟物語のサントラ。部活明けの中学生が窓の前を通っていく。部活を明けるな*1
(30分後)この項目やっかいなんだよな。
(40分後)店主さんの巡回。進捗どうですか?の札と、飴の差し入れ。ミルキーをいただく。濃くて固くておいしい。ひと噛みで、詰め物があれば絶対に取れてしまうであろうことがわかる。久々に食べた。
(55分後)そろそろ進捗確認の時間?*2そこまでこまめでもないか。BGMは現在「迷宮ファイト」。
(80分後)締め切り直前では絶対に行わないだろうな、という推敲をしている。逆に、これまで提出したもの、よく通ったな。ほぼ全部ぎりぎりで書いたのに。目標まであと400文字ほど。30分で終わらないだろうな~*3
(110分後)BGMは「走れ!」に変更*4。そういえば「進捗どうですか」の問いかけが札のみというのは思っていたよりずっとやさしい。欲をいえば、言葉で詰めてほしい*5
(130分後)気がついたけど、普段の作業中に出まくっている悪癖であるところの毛先いじりがほとんど出ていない。雰囲気のなせるわざなのか?
(140分後)飲み物をたくさん飲んでいる。当然、たくさんトイレに行くことにもなっていて、ハズい。
(150分後)さすがに終わらせたい!終わらす!

 

最終行の10分後あたりで進捗が目標に届いたため、店主さんに報告。料金を支払って退店した。帰り際に頑張りましたねと労いの言葉をかけてもらえたのが印象的だった。

作業は普段よりはかどった。

*1:気分がくさくさしている

*2:集中したからか、時間の感覚がよくわからなくなっている

*3:次に料金が加算される時間までに終えたいが、たぶん無理そう、という見通し

*4:ジョギングするとき用のプレイリスト。全体的にスピード感がある

*5:「進捗どうですか」の強さは入店時にマイルド・ノーマル・ハードから選べる。とりあえずノーマルを選んだけど、ハードにすればよかったかも

【日記 2023 12/02】けもケット参戦/『アリスとテレスのまぼろし工場』/「先週のジャンプ」問題

ニュースの見出しで「駆除のクマは牛襲うOSO18」というのを見て,「なんかこういう俳句あるよな」と思った(「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」(金子兜太)だった).いかがお過ごしだろうか.

日記と題したものの,下書きを放置していたので最近のできごとは全然入っていない.最近の懸案事項は12/24のM-1グランプリだ.映画の感想部分に関してはネタバレ注意です.

けもケット参戦!

2023年9月17日,東京流通センターで開催.流通センターは都心の海辺にある建造物で,浜松町駅というところで山手線からモノレールに乗り換えて向かった.海と道路が交互に現れる景色を眺めながらの移動はけっこう楽しかった.会場到着は待機列形成開始から1時間後ほどで,すでに長い列ができていた.開場までは1時間というところ.入口で買ったカタログ(入場券を兼ねている)で参加サークルのサークルカット一覧を眺めて時間をつぶした.
列が動き出し,ぬるっとスタート.「開場前に列に並んだし,目当てのサークルを回っていけばひととおり買えるだろ」と思っていたが,始まってみると会場内は人でごった返しており,非常にジリジリとしか進めない.私の目当てのサークルは入場口から対角の位置に固まっていたので到着に時間を要し,欲しかった本は9割がた手に入ったが残りの1割は売り切れていたという感じだった.時間感覚に関する甘えが露呈した形になる.
同人イベントで楽しみなのは,知らなかったサークルとの思わぬ出会いだ.目当てのサークルを回ったあとでぶらぶらしていたら,「これは・・・!」と息を飲むような好みドンピシャの本を一冊買うことができた.(前に並んだ人がサークル主の友人だったらしく,軽口を言い合うタイプの仲の良さで,少しだけ疎外感があった.)
その後,着ぐるみエリアを少し見たりして,14時くらいに会場を出た.そばチェーンの「ゆで太郎」が駅前にあったのでもりそばを食べた.そば湯が好きなので,店内にそば湯のポットが用意してあるのはありがたいと思った.

楽しかった.ブログに日記を書くのだから一枚くらい写真を撮ればよかった.写真を撮る習慣がないとイベントごとを思い出すフックが少なくて困る.ブログドリブンな撮影習慣というのもありうるのではないか.(ブログドリブンへの既視感:ノヴゴロド

アリスとテレスのまぼろし工場

菊入正宗14歳。彼は仲間達と、その日もいつものように過ごしていた。すると窓から見える製鉄所が突然爆発し、空にひび割れができ、しばらくすると何事もなかったように元に戻った。しかし、元通りではなかった。この町から外に出る道は全て塞がれ、さらに時までも止まり、永遠の冬に閉じ込められてしまったのだった。

変化のない冬を繰り返し生きていくことは観客目線ではめちゃくちゃ辛いことのように思うけれど,住人たちの姿勢はいまいちぼんやりしていて,異常事態に対する意見自体があんまりないみたいだった.結果として,ことの重さが住人たちにとってどの程度のものなのか見ていてずっと測りかねていたけれど,裏を返せばそこに意見を持てなくなるくらいすり減っているということでもあり,その空虚さがなにより恐ろしいということなんだろう.(というかまあ,時間の流れを意識して希望や絶望を抱いた人はみんなまぼろし世界から消えちゃったということでもある)

時間がおかしくなるモノの物語としては「正常な時の流れからの弾き出され方」が独特で,なにごともなかった現実というのが別に存在したうえで自分たちは変化を禁じられるというシチュエーションには独特の絶望がある.言い尽くされているかもしれないけれど,この設定は比喩としてはコロナ禍で「あったはずの現実」から弾き出された時期の人々(とくに子供たち)に捧げられたものなのだろうと思う.

これもおそらくは見た全員が思ったことだろうけど,キスシーンが長かった.あの世界で想いあうというのは相当な覚悟が必要で,絶対に軽くあってはいけない部分なので,それがこの上なく表現されていたシーンだった.

ラストシーンについては,帰ったところでできることなんてないんじゃないかしら,何が起きて終わるんだろう,と思っていた.なので,イツミの「ここで生まれた,私の初めての失恋」で締め,というのはすごく意外だった.時間が止まった世界にいる中学生時代の父親への恋が母親によってくじかれる,というかなり込み入った構造がここにきて強調されるのはすごかったけれど,それがどういった問題意識と接続するのかは読み取りきれていないところがある.

 

ていうか,いや,なんだかんだいっても、けっきょく園部さんだよな~.映画館を出てからもずっと園部さんのことを考えていた.見ている間も正直ずっと園部さんのことが頭にあって,本筋があんまり入ってこなかった.正宗から園部さんへの対応は一貫してかなりひどく,相合傘のシーンでは下の名前を知らない,後半に言い放った「真剣な告白を初めて見た」という旨のセリフ,等を見るに正宗にとって園部さんがかなりどうでもいい存在だったことは明白だ.ここは見ていていちいちキツかった(園部さんが消えた後に正宗が中途半端に反省苛立ちをしていたのもうざかった).

園部さんの冷遇っぷりは徹底されていて,これは睦美との対比になっているんだろうけど,そう思うと園部さんと睦美の関係性は結構特殊な感じがした(互いを恋敵としてふんわり意識し,いじめあっているが,ふいに普通の会話も成り立つ,という温度はよくあるものなんだろうか?).ここの不思議さが際立つのは園部さんが煙に食われて消えるシーンで,一同が呆然としているところに睦美だけが園部さんに駆け寄っていた.上履きを隠しあうという関係から根本的な険悪さを読み取るのは間違いで,ピンチのときに現れるたぐいの信頼関係が根底にあったとみるのが妥当かもしれない(この部分については,痛みが希薄になるまぼろし世界で男子が体の痛みを求める遊びをするのに対して女子は心の痛みを求める遊びをしていたのだという旨の読みをネットで見かけて,たしかにそうかもと思った).

生き残り組が掘り下げを受ける一方で,園部と仙波に関しては「心がこういうことになると消えちゃう2例」という形でまぼろし世界のルール説明のために消費された感じが強く,非常に寂しかった.そうなると俄然気になるのが現実世界の園部さんのことだ.園部さんのことが大好きな俺は,せめて現実世界で(「せめて現実世界で」というフレーズは奇妙だ)彼女がハッピーであることを願わずにはいられない.ここに思いを馳せるにあたりひとつポイントになるのは,そもそも現実世界の園部さんは正宗を好きになるのか? というところだ.

まぼろし世界において園部さんが正宗に好意を抱いたきっかけは,本人の口から「助手席に乗せてくれたとき」と明言されている.とはいえゼロの状態から助手席だけで好きになるというのは想像しづらいので,ある程度の積み重ねがあった上での契機だったのだろうと推測ができる.ところがこの「助手席イベント」には,まぼろし世界だからこそ起こったことである,という大きな特殊性がある(まぼろし世界では年齢が進んでいかないので,子供には特例的に成人の権利が一部付与されるという描写がたしかあった.正宗はこのシステムを使って14歳ながら運転免許を所有している).現実世界で通常の運転免許を持ってから助手席に乗せるということもありえなくはないが,ここでは園部さんの恋のきっかけは,「まぼろし世界の中だからそれが起きた」という特殊性を強調するために選ばれたという解釈を採りたいと思う.(現実でも正宗に袖にされている園部さんを想像するのがつらくてしょうがないからだ.)そういうわけで現実の園部さんには,正宗を明確に好きになるきっかけが訪れず,大人になって振り返ってみればあれは恋だったかもしれない,程度の淡い感情で済むような筋書きを辿ってほしい.

と,書いて気がついたけれど,「あいつはどうせ振り向いてくれないから好きになるのはやめなさい」という態度はおそろしいまでにグロテスクだ.気づかないうちにとても悪いことを言っていた.すごく元気がなくなってしまったのでここまでにしたいと思う.園部さん......

ジャンプ本誌を買う

小学生のころに「戯言シリーズ」を読んでから西尾維新が好きで,中学生になってからは「物語シリーズ」や「めだかボックス」をはじめとした西尾維新作品を読みあさっていた.家庭科の時間で作った布のブックカバーに,戯言シリーズの登場人物たちを象徴するマークを刺繍したことがあった.物語シリーズのアニメで第何話の副音声が誰×誰担当だったか,という情報をすべて記憶している時期もあった.最近出している小説はしょうじきあまり好みではなく,「デリバリールーム」や「キドナプキディング」は拍子抜けするところもあったけれど,去年ジャンプで連載開始した「暗号学園のいろは」は単行本を買って読んだところとても面白かった.西尾維新が得意とする言葉の小ネタが,つねに振り落とされるぎりぎりの強度でびっしり敷き詰められており,ほかの漫画では得られない読み味と快感がある.作画担当の岩崎優次の絵もめちゃくちゃ綺麗.

ところが「暗号学園のいろは」は掲載順があんまり振るわないらしい.掲載順とはジャンプ本誌でその漫画が先頭から何番目に掲載されているかということで,読者人気などを反映して決定される(とされている)ため連載の安泰さを示すバロメータとなっているのだ.好みが強烈に分かれる漫画だとは思うので,ある意味では当然なのかもしれないけど,そんな漫画がジャンプに乗っているというのはステキなことだ.本当に「暗号学園のいろは」が続いてほしいので,単行本を買うのみならず,ジャンプ本誌を買ってアンケートを送ることにした.

編集部が連載継続を判断するにあたって重要とされているのがこの読者アンケートなのだ.ジャンプ本誌に綴じこまれているハガキを使って送るので,アンケートを出すためには本誌を買う必要がある.とはいえ俺が送った一票がまさに掲載順や連載継続を左右する,という事態は実際ありえないので,これはまあ,そういうレジャー,ということになる.電子書籍版でもアンケートは回答できるようなのだけれど,紙の本を所有したいタイプなので本屋さんに行ってジャンプを買った.「魔々勇々」の初回が載った号だ.

というわけで以下,本誌を買い始めてから得た知見をつらつらと並べていくことにする.

 

紙のジャンプを買ってみるといろいろ学びがある.まず,手に取ってぱらぱらとめくると,つるつるのカラーページ以外に使われているざらざらの再生紙が「絵柄を潰さずに漫画を印刷できる本当にぎりぎりの紙質」であることがわかる.また,本誌と単行本を連続して読むと,単行本の印刷が非常に鮮やかで明瞭であることに気づく.印刷の見た目のほかにも,1ミリに満たないゴム片のような不純物が紙に埋まっていたり,漫画の黒ベタの部分にインク溜まりのようなものができていることもある.小さいころ月刊コロコロコミックを買っていたことがあるけれど,もう少し質のよい紙が使われていた気がする.週刊かつ部数の多いジャンプという雑誌だからこそ,このような紙を使う必要があるのだろうし,紙資源に出したジャンプが再生紙になって次のジャンプに使われるといった妄想も浮かぶ.そうした巨大なサイクルの現れとしてみると,手元にあるこの雑誌がいっそうステキなものに感じる.

毎週買うことによって気がつくこともある.まず何よりも,「1週間に1話描いているのだ」ということは知識としては当然知っていたことではあるのだけれど,週刊で買うことによって,その「1週間」というスケールが自分が次の号まで実際に待った1週間と正確に対応する.漫画家がこの短い時間でしていることは,何ページにものぼる量の絵を仕上げるということだけではなく,その1話を面白い話として0から考えることも必要,なだけでもなく,連載を通してつねに読者の興味を引き続ける一貫性のある筋書きを考えるということもしなければならない.と考えるにつけ,連載というのはとんでもない営みだと感じるのだ.

また,毎週買うことによってはじめて知ったのは「先週のジャンプ問題」だ.ある週,うっかりジャンプを買いそこねるということがあったのだが,その次の月曜日に次号が発売して以降,買わなかった号が本屋さんからなくなってしまった.いろいろな本屋さんを巡ったけれど,結局本当に1冊も見つけることができなかった.雑誌を買う習慣がなかったから知らなかっただけで,たぶんジャンプに限らず週刊雑誌というのは基本的にそういうシステムなんだろうと思う(連載を追っているのに1週間のうちに買い忘れる,ということは基本的に想定されていない).

ついでに言えば,週刊で買い続けるという決断がけっこう重いというところも知らなかった.考えてみればわかることだけれど,本誌掲載から単行本化まではけっこう時間があくので,買うのをやめると長いあいだストーリーの続きをおあずけされることになる.単行本派からすると,本誌はひとたび手に取ったら離れることのできない「魔の契約」だった.楽しいからいいけど.

 

書いていて思い出したけれど,紙のジャンプを所有したいという欲望は,元をたどれば8月に買った書籍「奇奇怪怪」の影響だ.あの奇妙な青い本の,「週刊の四角い雑誌,なる本のあり方の魅力をえぐりだす」というコンセプトに見事に魅了されたということになる.こういうことにはあとから気がつくのが一番面白いなと思った.

 

本はなるべく物理的に所有したいという気持ちがあり,電子書籍のプラットフォームが整備されていけばいくほど不合理になっていくのが難しいところだ.ジャンプが十数冊ほどたまってきて,順当に部屋を圧迫してきたので,年末年始には「週刊少年ジャンプの圧縮」を試みるつもりだ.雑誌に対する「圧縮」とはアイロンで糊を柔らかくして雑誌の綴じを分解する営みで,残したい部分だけを再構成することで収納スペースの節約ができる.次回は圧縮してみたの記事でお会いしましょう.読んでくれてありがとうございました.

【日記 2023 08/14】まだ説明を受けていないもの/最近見たもの『君たちはどう生きるか』『ぼくらのウォーゲーム』

サイゼリヤのメニューから「ブロッコリーのくたくた」が消えた。これは日記に書くべきことだと思う。

以下、ネタバレを含みます。

まだ説明を受けていないもの

まだ説明を受けていないものをまとめた。

新たに見つけ次第追記します。

君たちはどう生きるか

公開初週ごろに見た。近所の映画館に見に行ったのだが、けっこうお客さんが入っていた。
ジブリの内部事情を面白がる、というのを通ってきていないので、映画に登場した要素や構造を現実と対応させて読み解く流れにはあまり乗れていない。
逆に、こういう感想(LWのサイゼリヤ)は興味深く読めた。

アニメーションの気持ちよさを存分に感じることができた。なんだかんだ一番印象的だったのは船の帆を張るシーンで、風を受けばらばらと音を立てて張り詰める帆・帆の力をギシギシと伝達する綱・綱を握って重心をぐっと後方に深く預け船の制御を試みる人間、という一連の力学がほんのわずかな時間のあいだにものすごく綺麗に描写されて、その圧倒的なリアリティ(というか納得性)に心が動かされた。あと、後半に突然出てくるインコ大王による質量を伴った力強い身のこなしがいちいちカッコよくて、そこもとてもよかった。
音もよかった。繰り返しになるが船のシーンでは音と動きが一体となっていて、それがリアリティにつながっていたと思う。あと、インコの家に入ったときのただインコたちの鼻息だけが聞こえる時間はなんとも不気味で、意外と見たことのない演出だなと思った。

デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム

20年以上前の映画。7月の1週間限定で復刻上映があることを友達が教えてくれた。その素晴らしい評判は以前から知っていたので、この機会を逃すわけにはいくまいと思って見に行った。
席につくと隣が親子連れだった。小学校低学年くらいの子供二人とそのお母さんという組み合わせで、上映前しきりに「映画始まったら喋っちゃだめだよ」「はーい」「いい?」「はーい」というやりとりをやっていて、多少の音は覚悟しなければいけないかもなと思った。
当時のフィルムを用いた上映だったので、広告が一切流れずにすぐに本編が流れ始めた。
冒頭数分間で状況説明がテンポよく進む。おそらく主人公の、アツそうな小学生の「タイチ」(私はデジモンを通ってきていない。まったくの初見だ)。コンピュータにかなり詳しく大人びた「コウシロウ」。彼らとその友人たちはかつてデジモンとともに大冒険を繰り広げたようだ。タイチは「ソラ」と喧嘩をしている。予想だけど、タイチとソラはたぶんいい感じになる。
春休みのある日、インターネット上のバグが凝集してデジモンのタマゴになる。世界の危機を感じ取ったタイチとコウシロウはタイチの家に集まる。タイチはデジモン仲間?に片っ端から電話で助けを求めるが、中学受験や海外旅行などの事情があってみんな繋がらない。大人はそもそも見向きもしない。世界中に遍在するコウシロウのネット友達(これも子供たちだ)がタマゴの分析を進める。これは子供たちの戦いなのだ。「インターネットの世界は、子供たちが〈子供扱い〉という制約に縛られずに自由に行動できるフィールドである」という視点がデジモン世界の基礎なのかもしれない。
不気味なタマゴが孵ると同時に、一番心が躍るタイミングで名曲「butterfly」がズギャーンと流れ始める。素晴らしい演出に鳥肌を立てていると、隣に座っていた親子連れのお母さんが泣き始めたので、たいそうびっくりした。考えてみれば、デジモン世代なのは間違いなくお母さんのほうなのだ。結局、お母さんは目元を抑えてずっとすすり泣いていた。子供たちは終始めちゃくちゃおりこうにしていた。

 

とても面白かった。とにかくテンポが良い映画だなと感じた。あとは、ダイヤルアップ接続や当時のWindowsのジラジラしたUIなどのディティールが全体の雰囲気をとてもよいものにしていた。たぶんもう映画館で見る機会はないけど、また映画館で見たい。

【日記 2023 03/21】最近見たものなど

主に最近見たものの感想です。ネタバレ注意。

『THE FIRST SLAM DUNK』(映画)

・めっちゃ面白かった。(原作未読)

・オープニングで湘北高校(主人公チーム)の5人が並んで歩く。この時点で既に胸の高鳴りを感じ、「この人たちのことをまだよく知らないけれど、いろいろなバックボーンを持つバラバラの5人が、勝利というひとつの方向に向かって足並みをそろえているんだな」と引き込まれていた。

・私はバスケの試合自体ほとんど見たことがないので映画を見ながらなんとなくルールを把握していった。相手からの執拗なプレスやパスカットによって攻撃が阻まれるもどかしさがまずあって、だからこそシュートが決まった瞬間の快感がひときわだった。ボールが移動するほんのわずかな瞬間の中に敵と味方の判断が凝縮されていて、ピンチとチャンスがめまぐるしく切り替わっていき、見ていてずっと激アツだった。実際に体が熱くなって汗をかいていた。

・試合の流れと呼応するようにしてメンバーの過去が挿入され、ドラマがあった。「湘北vs山王」というひとつのゲームそれ自体が、選手たちがバスケットボールに捧げてきたそれまでの人生そのものなのだということがひしひしと感じられた。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」とか、ネット上で超有名だからさすがに知っていて意味もわかっているつもりだったけれど、前後の流れを含めてきちんと咀嚼すると本当に良いセリフだなと思った。

・とりあえず、原作の漫画を読んでみたくなった。

年森瑛『N/A』

松井まどか、高校2年生。
うみちゃんと付き合って3か月。
体重計の目盛りはしばらく、40を超えていない。
――「かけがえのない他人」はまだ、見つからない。

優しさと気遣いの定型句に苛立ち、
肉体から言葉を絞り出そうともがく魂を描く、圧巻のデビュー作。

・パンケーキ屋のシーンで出てきた「ぐりとぐらはこんなことはしない」という比喩の面白さで一気に引き込まれた。物語を貫くテーマである”かけがえのない他人”なる関係性が、この比喩を起点として「ぐりとぐら」や「がまくんとかえるくん」へと託されていく流れがとても綺麗だった。

・あらすじにもある「優しさと気遣いの定型句」について。マイノリティに向けられがちな「優しさから出発してはいるものの、”正解”を求めた結果硬直してしまっている言葉」に焦点を当てる鋭さが少し怖いとすら思う。その一方で、物語の中盤までは友達から向けられた定型句にイラついていた語り手が後半のシーンでは自分が定型句を使う側に回り、(属性と向き合うのではなく)その人個人としてと向き合うことのある種のめんどくささに直面するという構成のバランス感覚がとても好みだった。

・ラスト2ページのくだりは、緊張と緩和からくる笑いがこみ上げてきた。

隠れた不調のサインについて

「自覚はないけどメンタルがなんだかおかしいようだ」という状態に陥るときがある。落ち込んだり不安になったりといった自覚できるタイプの不調はなくて、意識できるレベルではいたって普通の気分で過ごしているつもりなのに、なにかがおかしいのだ。こういうのはエラーが出ないバグのようなもので、放置されるうちにシステムの正常な動作からのズレを拡大させる危険性がある。

だからこういうときは「兆候」に気づく必要があって、私の場合はたとえば

のようになることがわかってきた。そして、気づいたからといって有効な対策が打てるわけでもないこともわかってきた。

【日記 2023 02/17】朝食バイキング完全妄想チャレンジ

 会話中に相手から言葉を聞き返されてもう一回はっきり言い直すとき、ちょっとムッとした顔をする癖がある。直したい。

 ほかには、読みやすくて意味のまとまりがある文章を書けるようにもなりたい。当ブログは備忘録の目的のほかに、文章の練習としての側面を持っている。

円城塔オブ・ザ・ベースボール

 空から人が降ってくる街があり、語り手はそれをバットで打ち返すレスキューチームの一員。墜落を見かけるやいなや落下地点へ猛ダッシュしてフルスイングすることが生業である、などというナンセンスが、心のどこかでは人生の意味みたいな深い議論まで到達してるようでいて、やっぱりたちの悪い冗談でしかない気もする。語り手はいつ起こるとも知れない墜落に備えて絶えず青空を見上げていて、墜落現象がどこまでも目的や説明を欠いていることの不条理は、青空の爽やかさや恐ろしさや果ての無さと重なって見えた。

 川と街道がxy軸に見立てられたり、主人公が主人公をノートに書き付けたり主人公に書きつけられたり、ライフゲームへの言及があったりとシミュレーテッドな雰囲気もありながら、それらの道具立てによって人が降る街の不条理がことさら解き明かされるわけでもない。数理的な要素とのそのような距離感が、奇妙に感じつつも心地よかった。

朝食バイキング完全妄想チャレンジ

1.ホテルの朝食バイキングの飲料コーナーのオレンジジュースのガラスのジャーの表面のビチョビチョの水滴(から回想が始まる)。

2.オレンジジュースには氷が直に入っていて、溶け出した水の層ができている。上部がオープンなジャーなのでシャカシャカ振ることもできず、なんとなく全体をゆっくり回してたゆんたゆんさせてからオレンジジュースを注ぐ。横に並んでオレンジジュースを待っている知らない人がこれ(たゆんたゆん)を見ながら、おそらくは今日の旅程についてぼんやりと考えている。

3.コップに入れる氷をトングでガリっと掴む。氷は立方体のひとつの面だけを立方体の中心へと滑らかに凹ませた形をしている。氷は先に入れないとジュースが跳ねる。私はこのことをいつも忘れる。

4.コップの側面は円筒状にストンと落ちていて勾配がない。ストンと落とさないよう気をつけて持ちながら、席への帰りしなにバイキング全体をざっくりと見渡す。オレンジジュース、コーヒーマシン、フォークとナイフ、トレーとおしぼり、6つのスペースを持つ皿、旅の大きさのマーガリンとジャム、トーストからコーンスープを経由してベーコンエッグへ、白米から味噌汁に乗り込んで卵焼きへ、からあげと焼きそばからフライドポテトに身を投げて途方に暮れるもよし。アタマの中ではそうしたネットワークがまとまった形を持ちはじめ、視界の端の和食コーナーではユカチがわかめご飯をよそっている。

5.あらかじめ会場全体を見渡してメニューを考えてから取りに行くというのが私のバイキング・スタイルなのだが、そうした方針はユカチに言わせれば邪道なのだという。去年の旅行の朝食バイキングで熱弁するに曰く、バイキングとは食欲と迷いのはざまで絶えず揺れながら歩む一方通行の茨の道であり、その中で下した判断の成功や失敗をひとつのトレーに抱え込むことではじめて体験として完成するものなのだという。熱弁の過程で「攻略本」「プロアクションリプレイ」という言葉が出たあたりで理解を断念してしまったのだが、人間関係における相互理解の重要性それ自体を放棄したつもりはない。

6.二人がけの席に戻り、テーブルにオレンジジュースのコップを置く。ユカチが戻ってくるまで待ってから自分のトレーを取りに行ってもいいのだが、これがユカチの目には他人のメニューを判断材料とすることでますます神の視点に近付こうとする冒涜的態度に映る可能性は無視できない。というよりそもそも、お腹が空いている。立ち上がる。

7.近くのテーブルには家族連れが座っていて、子供が「ティラミスあったの」という声をあげると「手前の方にあったよ」と父親が答える。親が驚いて子供が自慢気に答えることも当然ありうる。私のバイキング・スタイルに則るかぎり、席に戻ってみんなとトレーを突き合わせる時点で初めて生じる発見や驚きというものはなく、ユカチが言いたいことはそういうことかもしれないなと少し思う。

8.トレーの塊から表面の一枚を剥がし取る。「剥がし取る」と表現するに足る粘着感を感じて妙に思うと、トレーの表面には滑り止め加工が施されている。

9.正方形を6つ組み合わせたような皿がある。ひとつひとつのセルに割り当てるメニューを考えるのはとても楽しい。この皿はバイキングにおける私達が「自分だけの方法でメニューを選び取っていること」を明確にしてくれる。それはそれでありがたいのだが、最近はむしろこいつを使わないほうがいいのではないかというのが私のバイキング・セオリーだ。というのも、よく見てみるとひとつひとつのセルは小さく浅いため、いろいろなメニューを食べたわりにはそれぞれに対する物足りなさだけが残るという経験を少なからずしているからだ。

10.浅い丸皿1枚と深さのある小皿2枚、それと箸とおしぼりをトレーに載せる。席に戻ったユカチが髪をまとめる後ろ姿が見える。バイキングが私の前に開かれている。(つづく)

【日記 2023 02/13】使ってくれてアリガト!

 帰りの電車で高校生の三人組が「てかカラオケ行きたい!」と言っていて、高校生すぎて、高校生のイラストかと思った。

金子邦彦『小説 進物史観』

 円城塔のエピソードゼロ(という触れ込みに惹かれて読んだ)。著者の金子邦彦は円城塔の博士課程時代の指導教員であり、作中の物語生成アルゴリズム円城塔李久」が作家・円城塔の名前の由来なのだ。「円城塔」などという奇妙な文字の並びを、一体全体どうやってひねり出したのか非常に気になるところだ。

 学術的でシャープな記述と唐突なボケとが織りなす硬軟取り混ぜた文体のリズムに円城塔と通じるものを感じた。特に、冒頭の「熊」のくだりをはじめとしたナンセンスギャグの温度感がかなり好みだった。

小川哲『君のクイズ』

 競技クイズプレイヤーが言うところの「発声はしてないけど聞こえる」という現象がいまだに飲み込めない。実際には、発音の繋がりとか問題を読み上げる口の形とかの複合的な情報から次の文字が推測可能(な場合がある)ということのようだ。

 「クイズプレイヤーが驚異的なタイミングでクイズに回答できるのは推論の積み重ねによるものであって決して魔法的技能ではない」という主張が作中に登場し、これが視聴者に理解されないことがクイズプレイヤーにとっての切実な問題として描写されるのだけれど、それでもやっぱり不思議なものは不思議だ。

付喪神の現代的なあり方について

 100年使われた器物は付喪神になるという。あたりを見渡しても100年使っているものはない。付喪神が生まれた時代の人々にとって、同じものを修理しつつ100年使うというのはどの程度リアリティを伴う想像だったのだろうか。

 YouTubeで100年分再生されたフリー素材のSEやBGMは電子的霊性を獲得して付喪神になるかもしれない。パソコンのメモリに眠る削除済みファイルや消去された誤字を大量に引き連れ、夜な夜な愉快に踊っていてほしい気持ちがある。

 器物が付喪神となることが嬉しいことなのかどうかをいまだに知らずにいる。「100年間も大切に使ってくれてアリガト!」という気持ちで変身しているイメージがあるので、誇らしい気分にはなると思う。

マルコフ連鎖で日記を自動生成して、並行世界の生活を覗き見する

動機

マルコフ連鎖でデタラメな文章を生成したい。

やったこと

MeCabとmarkovifyを使ってPythonマルコフ連鎖を実装した

・日記を自動生成し、鑑賞した

1.マルコフ連鎖を実装

この記事を参考にPythonで実装した。markovifyはマルコフ連鎖で文章生成を行うPythonライブラリである。markovifyに読み込ませる文章は分かち書きされている必要があるので、MeCabというソフトを使って分かち書きをする。

MeCabを使う際の注意点として、インストール時に文字コードUTF-8に設定しないと不具合が起きたので注意。(Python上で動かすときに文字化けした)

ラララ 千の夜を飛び越えて 走り続ける

動作確認として、discordでの私の書き込み履歴を学習させると次のような文章群が生成された:

  • 当委員会では、塔に住んでた人を募集しています。
  • この道の先に、苦痛以外の何かが、始まり、終わっていた
  • 力抜いて力入れて力入れて力入れて力入れて力入れて力抜いて力入れて力入れて力抜いて力入れて力入れて
  • 恋ミサイルやめてよ遊助
  • SDGsさん、いつもありがとうね。
  • イマジネーションがフットーしてしまったのですが
  • さっきまでおしりだったものが危険なのは確かにある
  • オタクの主治医「あなたのペースで、少しずつでいいから、ローラースケートを履いて、おしっこを。

私の普段の言動についてもご理解いただけたと思う。

2.日記を自動生成

上記の動作確認のとおり、マルコフ連鎖によって生成された文は大きな文法の破綻がない一方で、文脈や意味は突拍子もないものになっている。そこで、日記の文章を学習・生成することで、ヘンテコな日記を楽しめるのではないかと考えた。

日記の文章データとして、私が書いている日記を使用した。マルコフ連鎖の階数は3とした。生成した文にランダムに日付をつけたところ、一行日記としてのリアリティがグッと上がったのでおすすめです。

生成された日記の中から面白かったものを抜粋した。いっしょに鑑賞してください:

 

1月13日 : 「走る」という動作を完全に忘れてしまう夢が増えたので眼鏡を新しくした。

夢の中でうまく走れなくなること自体は時々あるけど、眼鏡を新調しようとは思わない。わかりやすくパラレルワールドだ。

 

3月2日 : 近所のお菓子屋さんで缶のダストブロワーを買っておけばよかったな、と思っている。

こちらの世界ではお菓子屋さんにダストブロワーは売ってない。それとも、甘くておいしいダストブロワーなのだろうか。

 

4月13日 : かりにきちんと早起きしても怒られない。

時間にルーズなほうがマナーが良い、という常識がまずあって、そのうえで私は早起きに寛容な環境に身を置いているようだ。

 

9月4日 : 私はいらないものを見てしまった。

かなり「手記」って感じがする。

 

1月31日 : 月一くらいで起動したくなる奈(東京銘菓) 

くだらないことを言うな!

 

1月23日 : 万引きが絶えなかったから断念…

万引きが多すぎて店を畳むのだろうか。やるせないし心が痛む。

 

7月24日 : メイドラゴンが来ています

まじ!?

 

12月4日 : 犬を連れてる姿が銅像になっているのはわかりやすいしありがたい。

西郷隆盛のことだろうか。確かにな。

 

1月22日 : 観る前は「無限」らしい。

パラレルワールドの私がなにかすごいものを観ようとしている。

 

6月6日 : 家でひとりでいると意味とか人生とかを考えてご飯を食べちゃう。

こういうのはそっちの世界でも変わらないよね。とりあえず、あったかくしよう。

 

9月29日 : 大好きだけど途中で投げてしまったのか、ユイ

パラレルワールド碇ゲンドウの日記だ。ハマってたものに急に飽きちゃうことってあるよね。

 

8月1日 : プロテインは粉っぽくて苦手という意見をよく見るけれど、私は事前に思っている。

「飲む前からプロテインの粉っぽさに気づいていた」ということでマウントを取るなよ。

 

3月17日 : 『アンドロイドは電気羊の夢を見ることはあったけれど、「めちゃくちゃ想像力豊かな人がいるな」とたかを括っていたらしい)。

アンドロイド、たかを括ったりするんだ。

 

10月29日 : そうですね、おしりの大きいゴジラがいたら、それはなんか、いいね

しみじみ言うことか?あと、ゴジラのおしりは元々けっこう大きいイメージがある。

 

 

 

 

ゴジラにおしりないの知らなかったな

(画像はゴジラ・ストアより)

 

 

おわりに

知らない世界の一行日記がポンポン出力されるのをぼーっと眺めていたら奇妙な酩酊感を覚えた。しかもそれらは自分が書いてきた日記を素材としているのだ。こうすることでしか得られない感覚だったので、おすすめです。

 

 

1月1日 : いやあ休みを頂戴しても昼過ぎには眠くなる。