マグマ

よんでくれてありがとう

2022年後期に読んだもの見たもの

特に注釈がなければ小説です。

ネタバレあります。

デリバリールーム 西尾維新

    ふつうの産婦人科で出産できない様々な理由を抱えた妊婦たちが、闇出産の権利を賭けて過酷なゲームに参加する。
    「妊婦がデスゲームに参加したら危険なんじゃないか?」という当然の疑問が「参加者の破水でゲームがめちゃくちゃになる」というそりゃそうだろすぎる展開によって回収された上に、それがまるで大どんでん返しであるかのようなテンションで描写されるのがたまらなくシュールで、これだけでも読んだ価値があったなと思った。

ネガティブハッピーチェーンソーエッヂ 滝本竜彦

    不死身のチェンソー男と戦う宿命を背負わされた女子高校生の絵理と、絵理の力になろうと奮闘する平凡な男子高校生の洋介の物語。
    チェンソー男との終わりのない戦い、思春期に貼りついた希望と虚無感、そして舞台となる冬の鬱屈とした寒さがリンクしていて面白かった。
    物語の中盤が暗いテイストで進むだけに、若干明るいラストに対しては「未来は希望にあふれてるんかい」と思った。完全に好みの問題だけど。

まず牛を球とします。 柞刈湯葉

    短編集。
    技術の進歩が浮かび上がらせる倫理の問題を、鋭く、かつ諧謔を交えて楽しく描くのがうまくて、大好き。
    特に『東京都交通安全責任課』では、労働の多くを機械が担う近未来での人間の仕事は責任を取ることだけに移行していくだろう、という考察が提示されていて興味深かった。

図書館の魔女 高田大介

    架空世界のある王国を舞台に、博覧強記を活かして周辺諸国の外交の糸を引く『図書館の魔女』である少女とその用心棒の少年の活躍を描いた小説。
    外交や地理、文化などの描写がとても緻密で、ひとつの架空世界を本気で作り上げていたのがちょっとゾワッとするくらい面白かった。
    文庫本で全4巻とけっこう長い。緻密な世界観とコインの表裏だと思うのだけれど、作者の文体の特徴としてほんのちょっとした描写にも全力で紙幅を割いており、「ちょっと長いな」と感じるところがけっこうあった。

万事快調(オールグリーンズ) 波木銅

    女子高生3人組が田舎脱出の資金作りのために屋上で大麻を育てる小説。
    高校を舞台にした群像劇でありながら心がヒリヒリするクライムサスペンスでもあり、それらが並行して進むスピード感がとてもよかった。どうしようもないオチも面白かった。
    本筋には関係ないのだけれど、メインキャラのひとりが雑談の中で性の目覚めがポケモンヒトカゲだったと告白するくだりがあり、その温度感というか、取り扱うものの感覚に親しみを覚えた。

未来職安 柞刈湯葉

    労働の大半を機械が担う「働かなくてもいい」近未来を舞台に、それでも労働者を志すワケあり志願者たちに働き口を紹介する職安と、そこに勤める主人公を描いた小説。
    監視カメラに写り込むことで映像をAIの訓練データに使われないようにする職業が登場したり、主人公が職安に勤める前には自動運転車がごくまれに起こす事故の責任を取るだけの公務員(『まず牛を球とします。』でも登場)であったりと、近未来の体温が伝わってくる設定たちがとても巧みで、これは技術の進歩に対する作者の深い洞察のなせる技だと思う。こういうとこが好き〜。

バッドガイズ(映画)

    オオカミ、ヘビ、サメ、ピラニア、タランチュラの5人からなる盗賊団の話。
    無茶なリアリティの無茶なアクションがとにかく痛快で、無茶なのに納得してしまうほどにアニメーションのクオリティが高かった。吹き替えのキャスティングもバッチリハマっていた。
    何より、ダイアン・フォクシントン知事がめちゃめちゃ魅力的だった。耳の動きがかわいい。

そいねドリーマー 宮澤伊織

    不眠症に苦しむ女子高校生の帆影沙耶は他人を眠らせる能力を持つ同級生の金春ひつじと出会う。このときの眠りをきっかけに、沙耶は夢に潜って戦う「スリープウォーカー」のチームに加わることになり……という小説。
    現実世界では友人である沙耶とひつじが夢の世界では恋人、という関係性がかなり萌える。

〔少女庭国〕 矢部嵩

    今年一番印象に残った小説。
    少女は卒業式に向かう廊下で気を失い、目を覚ますと密室にいた。ドアを開けるたびに次の密室で少女が目覚める。目覚めた少女のうち卒業できるのはひとりだけ、というデスゲーム小説が第一部。
    第二部では、少女たちが放り込まれたデスゲームのあまりにも空虚な顛末が淡々と羅列される。
    この小説ばかりはネタバレなしで読んでほしい気持ちが強いので詳しいことはなにも言えないのだが、それでもあなたの興味を引くために紹介文を書くとするならば、ぶっ飛んだ思考実験が持つ冷酷な恐ろしさを存分に楽しめる小説、ということになる。

宇宙の眼 フィリップKディック

    加速器で事故が発生し、見学に来ていた八人が大量の陽子ビームを浴びる。混濁した意識のなか、かれらの意識は混ざりあってひとつの世界に集まり、その主導権をめぐって不思議なバトルが始まる……という小説。

終わりつづける僕らのための 岩倉文也

    ガラクタの山を構成する物がひとつひとつ持つ世界の終わりについての記憶を、淡々と巡っていく物語。
    世界の終わりの美しい絶望を感じさせる掌編がたくさん並べられていく構成が新鮮だった。

すずめの戸締まり(映画) 新海誠

日本各地の戸を閉めていく映画。災害について色々なことを考えながら観ていたけれど、けっきょく芹沢が全てを掻っ攫っていった。

ユタと不思議な仲間たち 三浦哲郎

    小学生の頃、他のクラスが学芸会でこの物語をやっていた。ストーリーはロクに見ていなかったのだけれど、そのなかで歌われる「信じろ、信じろ、ペドロの言葉。今日の三時に雨が降るよ……」という一節だけは妙に印象に残っていた。これがどのような意味だったのかずっと気になっていて、先日ブックオフで目に留まったので買った。
    小学生のユタ(勇太)は父親をタンカー事故で亡くし、東京から東北の寒村へ引っ越す。はじめユタは分教場の子どもたちからはよそ者として扱われるのだが、ある夜にペドロをリーダーとする座敷わらしたちと仲間になったことをきっかけに村での居場所を獲得していく、という物語だった。件の歌は座敷わらしのペドロの予言をユタが話したところ的中し、分教場で一目置かれるという重要なシーンだった。
    ところでユタやペドロなどのネーミングがなんとなく聖書を思わせるのは意図的なのだろうか。

夏と花火と私の死体 乙一

    小学生の「私」は夏休みに田舎へ帰省するたびに近所に住む同年代の兄妹と仲良く遊んでいたのだが、ある日妹のほうが「私」を木から突き落として殺してしまう。その後、兄妹が周囲にばれないように死体を遺棄する過程が、なんと死体となったはずの「私」の一人称でつづられる。
    花火大会をひかえて盛り上がる村の雰囲気、並行して進む死体遺棄計画のスリル、そしてそれらが死人の目線で語られることの気持ち悪さが面白かった。

走馬灯のセトリは考えておいて 柴田勝家

    死後も推せるバーチャルアイドルについて描いた表題作が面白かった。
    計算機上で走っている人格を扱う物語を読むと必ず「その人格は意識を体験しているか(してないんじゃないか)」という問題がちらつくのだが、そこについては特に触れていなかった。なんだかんだ受容されたあとの世界なのかもしれない。
    AI人格が受容されるひとつのルートとして、入出力関係の再現度が高くなっていけば特に問題なくなる、というのはあるかもしれない。というのも、そのときには問題は「他人が意識を体験しているかわからない」というお馴染みの問題と同レベルのものに漸近するからだ。